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頭を使え
あなたの頭は飾りですか?と言う人が周りにいませんか?
非常にイライラしてしまいます。(私だけかも知れませんが・・・)
仕事を頼んでも、右から左に移すことは非常に上手にこなします。ですが、ハッキリ言って、これは犬や猿でもできることです。
右から左に移すだけなら、わざわざ仕事として頼んだりしないということが分からないのでしょうか?
例えば、「在庫表を作って」と頼んだとします。
仮に在庫表のフォーマットが分からなくても、何の在庫だろうか?どのような項目が分かればよいのだろうか?在庫表をつけるルールはあるのだろうか?など考えれば、幾つかの疑問がでてくるはずです。その疑問を解消し、在庫表を作成していけばよいのです。
それなのに、「在庫表が分からないから、できません。」と言う始末。あなたの頭は飾りですか?少しは考えましたか?
分からないからできませんなどは、考えていませんと一緒のこと。世の中分からないことだらけ。分からないから出来ませんと言っていたら、一生何もできません。そして一生何も分かりません。ハッキリ言って、仕事になりません。
分からないことが出てきたら、まず疑問に思いなさい。
なんの為に必要なのか、どういう時に使うのか、いつまでに必要なのか、だれが使うのか、何の項目をチェックするのか、等々
この疑問さえ思いつかない人は・・・・仕事はできません。
お願いだから、頭を使って!
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報・連・相
報連相とは、報告・連絡・相談のことを言います。
仕事上のコミュニケーションを図る上でとっても重要な原則となります。
何かをする前、した後の報告や連絡、何かをするための相談、 そして忘れてはならないのが、途中経過の報告なのです。
先にも述べたとおり、仕事の効率を図る上で非常に有効な手段となるのです。
例えば、成すべき事が間違っていた場合、途中経過の報告があればその時点で軌道修正ができるはずです。事前にどうすればよいか、相談をしておくことも重要です。
この報連相は、仕事の把握をすること、時間の無駄を省くことができ、それが仕事の効率化を図るのです。そして、何を考えて仕事をしているのかをアピールすることもできるのです。
時に、「皆、忙しそうで報告や相談ができなかった(声がかけずらかった)」などと言い訳をしている人を見かけますが、逆にその相談や報告がなかったことで周りの人に迷惑がかかることもあるのだと知っていますか?時間を無駄にするわ、人に迷惑をかけるわ・・・・(大迷惑な事態がおこることもあります。)
声をかけたときに、忙しければ「忙しいから、後からにして」などと言ってくれるはずです。そして忙しくても、恐らく報連相の時間は割いてくれるはずです。
ここで忘れてはいけないのが、報連相は非常に大事です。そしてその報連相の時間は自分の時間だけではなく、相手の時間も割いているということを認識しておかなければなりません。
ですから、報連相を徹底的に活用し、仕事を効率よくこなし、仕事を任せられる人材になって欲しいものです。
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雇用のミスマッチ
戦後最大の失業率と言われています。(ハローワークに行くと、山のような人がいるのです。)
景気の低迷が長引き、企業存続をかけて企業の再構築(リストラ)が盛んに行われています。
こうした背景を元に、国の政策として緊急雇用対策がしかれています。
厳しい?(当たり前?)の世の中になってきた現在、余力をもてあましている企業など、ほとんど存在しないのではないでしょうか?
ですから、できる(有能な)人材、即戦力、コア人材を企業は必死で求めているのです。
ここで、「雇用のミスマッチ」と言う言葉を耳にしたことがあるでしょうか?
基本的には、雇用環境の需給バランスの不均衡からきている言葉なのだと思うのですが、現在では、雇用のミスマッチと言うと、「求人側が求めている人材(能力)と求職側ができる能力との間に、かなりの溝(認識のギャップ)がある。」と言うことになるのではないでしょうか?!
経験でしか得ることが出来ないことは別として、仕事に対しての姿勢や体制、責任感、理解力、遂行力、想像力、創造力、(挙げると限がありませんが)等々の能力が兼ね備わっている人材が必要とされているのです。
別にこれは、学があるなどという物指しでは計れません。人としての生き方(過程)や考え方などに左右されてしまう部分です。
例えば、出来なければ出来るようにすればよいだけなのです。足りなければ補えばよいのです。
「出来なくて当たり前」ではなく、「できて当たり前」というスタンスを持ち、さらに「やれば必ずできる」と言う事を身をもって体験し、知っていただきたいと思います。
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「はい」の意味
皆さんも通常良く使うはずの言葉だとは思いますが、「はい」という返事をどのように使っていますか?
例えば何かを頼んだとします。
「はい」という返事を受ければ、それは分かったものとして理解します。が、これが大間違い。「はい」か「いいえ」、「YES」か「NO」、まったく逆の意味を持つはずですなのですが、「はい」が「はい」ではないことがあるのです。(摩訶不思議な現象です。)
私だけの解釈かもしれませんが、何かを依頼し、その意味が分からなければ、「分かりません」もしくは、決して「はい」という返事は出来ないはずです。
「はい」という意味は、「分かりました」という意味だけではなく、そこに責任が生じるのです。(責任の大小は別として)依頼されたことを成し遂げるための責任が・・・。
たかが言葉かもしれませんが、言葉には必ず責任が伴うのです。それを分かっていない人がいるのが非常に残念です。
仮に、百歩譲って、「はい」と言ったものの行き詰ることがあるかもしれません。だとしたら、途中で、「どこが分からないか?」を尋ねるべきではないでしょうか?
「何が分からないか?」尋ねもしないで、ただ漠然と時間を浪費し、挙句の果てに、「出来ませんでした」では、全く話になりません。
また、「なんで出来なかったのか?」を尋ねると、「言っていることは分かるのですが・・・どうやっていいか、何をしてよいか分からないのです。」みたいな答えが返ってきます。
私から言わせると、「結局、分かっていなかったのでしょ!」「あなたが言った「はい」は嘘でしょ!」となってしまうのです。
簡単に言うと、責任感がないの一言につきるでしょう。
自分自身の言動は、自分自身で決めるもの。だからこそ、そこに責任が伴い、そこに個々の人生がかもし出されるのです。
また、ここで上記のように問い詰めると、今度は「「はい」とは簡単に言えませんね〜」などと言う始末。(お手上げです。)
基本は、何かを依頼されれば、「はい」と返事をすべきなのです。
依頼されたことに対し、貪欲に挑み、考え、対処する。分からなければ、相談すればよいだけです。
相談できないのは、恐らく変なプライドが邪魔をしているのでしょう。
よく言われますが、聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥。何が今大切なのかを吟味し、仕事を全うして頂きたいものです。
そして、自分自身の言葉に責任を持って頂きたいものです。
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一時が万事
諺に「一事が万事」というのがあります。
1つのことを見れば他のすべてを推し量ることができる
と言う意味です。
例えば、仕事に例えると、一つのことから万事(とは言えないまでも、多くの事)を悟る(学ぶ)ことを言います。
人間ですから、些細?なミスを犯してしまうこともありますが、些細なミスが大きな被害や損害をもたらしてしまうこともあります。些細なミスでも、迷惑の災難が振りかかった人が、少なからずいます。その裏で、あなたの変わりに尻拭いをしてくれた人、助けてくれた人、アドバイスをしてくれた人等の気持ちを考えて欲しいのです。もちろん、迷惑をかけてしまった相手の気持ちも。
ここで大事なことは、同じミスを繰り返さないことです。同じミスを繰り返さないために、一事(今回犯してしまった事柄)から起こりうる事柄(万事)を想像し、ミスの重さを心に留めて行動するのです。
これは、簡単そうで、案外と難しいものらしいです?!
一時から万事を悟る、これは、自分自身の持つ想像力をフル活用し、場の状況、相手の気持ち、自分の気持ちを思いやれば、自ずとできることなのではないでしょうか?
では、何故、難しいのでしょうか?
これは、簡単です。先に書いたとおり、想像力や思いやりがないからなのです。(ミスを犯そうが、誰かしらに迷惑をかけようが、無関係、無関心なのでしょう。)
ですから、何度も何度も、同じミスを繰り返すのです。場の状況が変わると、対応できない。人が変わると、対応できない。(同じミスを繰り返されてしまうと、こちらの方が、「勘弁してよ〜」ですよね。)
一事が万事とは言えないまでも、一事から少しでも多くのことを推察し、常に心をもって行動して欲しいものです。
万事がミスでは、間違いなく、仕事はできません。
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