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即戦力って?
即戦力とは何か?と言うより、即戦力な人材は何を持っているのか?と言うべきだろうか。
人それぞれ様々な意見があると思うが、私なりに考えてみたところ「当たり前のことが当たり前にできる」人材ということになると思う。
例えば、マナー・常識などが良い例だと思う。「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様」などの挨拶ができるということ。
報告・連絡・相談ができるということ。
人の話がきちんと聞ける、理解できる、自分の意見を話すことがでいるということ。
人に協力することができるということ。 等々
こういうことが出来るということが大前提でなければならないのです。
挨拶ができなければ、挨拶から教えなければなりません。人の話が理解できなければ、理解できるまで話をしなければなりません。
非常にタイムロスが多く、いくら技術が優れていても、人として当たり前のことが出来なければ、それ以上のことは任せられないのは、至極当然だと考えます。
すべて学校教育や家庭の中で教えなさいといっているのではなく、最低限必要なレベルの常識は持っていてもらいたいと言っているだけなのです。
仕事とは、仕事に対して「対価」が生じます。仕事に対しての常識を教えることも仕事と考えますが、仕事以前の常識は、仕事ではありません。あくまでも常識なのです。そこに対価が生じるのは、会社として損失以外なにものにもなりません。
仕事として一人前になるために、即戦力となるために、
最低限の常識は身につけて置くべきでしょう。
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無駄を省く
無駄はいたる所に転がっています。
ほんの些細な無駄を省くことに意味がないと思っている人も多いと思いますが、そんな些細なことでも積み重なるとまさに無駄としか言いようのないものになってしまいます。大きな無駄を省くのはとても大きな変革が必要となってしまいます。
だからこそ、些細な無駄であれば、ほんのちょっとの変化ですむのです。
自分の周囲を見渡してみてください。自分のしてきたことを振り返ってみてください。
そして、ちょっとだけ、無駄かもしれないと思うところを、変えてみましょう。
その変化の積み重ねが、非常に多くの貴重な時間を生むのです。
時間は皆に平等に与えられているのです。しかしその時間の使い方は人それぞれです。
だからこそ、有意義な時間を自分に与えるための努力=無駄を省いてみませんか?
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失敗は成功の素?
失敗は誰もが経験したことがあるはずです。
失敗は、気分の良いものではありません。落ち込みます。
ですが、失敗は、次に同じ過ちを繰り返さないための必要不可欠な要素です。そしてその失敗経験が、自分自身の成長の要素となっているのです。
失敗をしないに越したことはありませんが、未知の世界へ飛び込むときに、予想だにしないことも起こりえるのです。いくら準備万端といえども、パーフェクトに備えることは難しいでしょう。
失敗を恐れることなく、前に進みたいものです。
準備などは、失敗を未然に防ぐための予防手段です。予防をしたからといって、失敗することもあります。
失敗したとしても、その失敗を甘んじて受け入れ、自分の中で省みてみましょう。
自分の中で、何が足りなかったのかなどが少しずつ見えてくるはずです。理由がわかれば、次に同じような失敗を繰り返すはずがありません。
そうして、失敗をしながらでも、人は成長していくものなのです。
そして、失敗は人を成長させる素なのです。
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最後まで聴く
話が通じない(話しが理解できない)人がいます。
その要因の一つに、以前書いたように、人それぞれ持っている言葉(語彙)が違うと言うことが挙げられます。これは、育ってきた環境、読んだ本、体験・経験などによって異なります。ですから、話している内容というよりも言葉自体を知らないのです。
理解してもらうために、相手の言葉に掘り下げてやる必要があります。
また別の要因として、話を聞いていないことが挙げられます。話は聞いてはいるのですが、結局のところ肝心な部分や話を最後まで聞いていない(聴けていない=聴こうとしていない)のです。
これは、少しやっかいで、本人は話を聴いているつもりになっているのです(途中までは実際に話を聞いているのですから)が、結論などの肝心な部分を聞き逃し、自分本位の結論を導き出している場合が多々あります。
日本語と言うものは、婉曲的な表現とでも言うのでしょうか、結論などを最後に話すことが多々あります。その結論に導くまでの過程の話を聞いている中で、もう頭の中はよそ事を考えているのでしょう。
四六時中、他人の話を聴いている集中力はないでしょうが、話を聞くなら、最後まで聴くべきではないでしょうか?
何故、話をしているのか?話の必要性があるのかを考えたことがありますか?話の結論を導くために、話を理解してもらうために、結論に至る過程をわざわざ時間をかけて話していることがわからないのでしょうか?
結局は他人ですから、他人の頭の中を100%のぞく事は無理かもしれませんが、理解をしようとする努力はすべきでしょう。
(念のため付記しておきますが)ここで言う努力とは、話を最後まで聴くことです。
話を最後まで聴くことが出来るようになれば、結論はもちろん結論に至る過程なども次第に見えてくるようになるはずです。
又更に加えると、話を最後まで聴きなさいと言っているのは、命令に従いなさいと言っているのではありません。話を理解するということは、自分なりの考え(意見)や疑問なども持つと言うことに他ならないはずです。単に理解をしなさいと言っても、所詮は他人、無理があります。ですが、その無理を、互いの意見や疑問を持ち合いながら、そして解消しながら、より理解できる方向へ導くことができれば話をした甲斐があったと、うれしく思います。
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自責と他責
上司が部下に「前にも話したでしょう。」「話を聞いていなかったの。」と罵倒する。
「この仕事はやりがいがない。」「今の上司の下では自分の能力が発揮できない。」と愚痴る。
これは、原因を他に押し付ける「他責」の考え方です。
原因はすべて自分以外にあり、自分ではどうしようもなく「周りが変わらなければ駄目」と言っているのです。
ここで自分を振り返って考えてほしいのです。
本当にそうでしょうか?自分に落ち度はなかったでしょうか?
例えば、こう考えてみてはどうでしょうか?
「今の状況は自分自身が作り出したのだから、その状況は自分自身で変えていくこともできる」・・・と。
(自分自身がすべて悪いわけではありません。)
そして、今の状況を打破するには、「今できる最善のことは何だろう。」と考えてみましょう。
どのような状況でも、自分にできる最善の方法を工夫していくことで、状況がよりよい方向へ変わることもたくさんあるのではないでしょうか?
他人本位ではなく、自分自身を見つめなおして、自らの環境や状況を最善の方向に導いて見てください。
他人を責めるより、ずっ〜と自分自身の糧になる筈ですよ!
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